木曽御岳冬山登山(1977年2月)

投稿日: 1977年2月11日 | カテゴリ:『登山』>中央アルプス

76年12月の木曽駒に続いて冬の木曽御岳登山に挑戦。木曽駒の否定的経験を踏まえて比較的安全な登山ができた。

1977年
2月11日(晴れ)
0:30 新宿発
6:15 木曽福島着
8:30 黒沢
10:15 屋敷野
16:30 八海山小屋
2月12日(快晴)
6:00 八海山小屋 発
7:15~8:00 見晴小屋
9:30~10:00 中ノ湯小屋
11:00 7合目
14:00 スキーデポ(8合目半位の所)
16:30 剣ヶ峰頂上
18:00 スキーデポ地
21:00 見晴小屋
2月13日(曇り時々雪)
10:30 見晴小屋 発
16:30 黒沢口バス停発
17:28 木曽福島 発
20:52 八王子着

御岳黒沢道ルート図

2月11日(晴れ)
やあ歩いた歩いた。往復30km以上はあっただろう。さすが家に帰ってきたときはもうクタクタであった。帰りの駅の階段の登りなんかは一段一段やっと登るといった具合だった。夏山であったら八海山小屋までバスが入るというから距離的には半分以下になる。また、王滝道のほうは八海山までバスが入るから更に短縮される。僕は黒沢道のほうを選択した。幕営具がないことで、比較的小屋の多い点、やはり一人で黙々とやってみたいことなどから黒沢道の方を選んだ。
行きの電車はひどく混んでいた。やはり9日に出発したかった。なんとか0時30分の臨時急行に乗り込んだ。とても眠れるといったものではない。翌日の休養を十分とればなんとかなるであろう、と思って数時間我慢することにした。それでもザックに腰掛けて2、3時間はウトウトした。何しろデッキなのでとても寒い。そばの女の子なんかはしゃがみこんでとても寒そうだった。ヤッケなどを貸してやろうと思うがそれを言う勇気が出ない。「足が冷たそうだな」と思っていたら、その子立ち上がって靴を脱いで一生懸命足を擦りだしたのであやうく笑い出しそうになった。寒さをなんとか堪えようとした素直な行為がとてもいじらしかった。
塩尻には5時前に着く。木曽福島方面の列車発車まで時間があったので待合室で過ごした。ストーブがあってとても有難い。木曽福島に下りたのは僕の他に2、3パーティあった。僕の他はみなスキー場方面からの登山者みたいだ。
黒沢口でバスを下りたのは僕一人。スキーを担いでアスファルトの道を屋敷野に向かってトボトボ歩く。肩ではスキーは担ぎにくいので途中でリックに水平に括りつける。この方が幾分楽だ。山の間から雪化粧した乗鞍が姿を現した。乗鞍を見るのは初めてだったが直ぐそれとわかった。そして、その名の意味するものになるほどと思った。馬の背に乗せた鞍そっくりだったからだ。なんとなくその姿に憧れてしまった。いつかはスキーで登ってみたいなあと思った。その姿が消えるまで何度となく眺めては「フゥーン」とため息をついた。屋敷野部落まではちゃんとしたアスファルトの道がついている。部落の家々はトタン屋根のものがほとんどで町にある家と変わらない。道に沿って長く続いた部落だ。中の湯本店を過ぎ、日の出の滝を過ぎると人家はなくなる。新雪に車の跡がないところまでくると坂が急になってくる。旅行客らしい中年の女性と会ったが彼女が御岳に向かう途中であった最後の人となった。後は人跡はまったくない。
途中の神社の階段で昼食をとった。ここからはスキーを履いた。雪は10cm位で歩いてもたいしたラッセルではないが、何せ肩の荷の重さに閉口させられててのことであった。両面接着テープで固定したシールは断然調子がいい。北八での教訓から改良したものだ。ここからはただひたすらにスキーを滑らせる。肩の荷はあいかわらず重いが、足の運びはスキーをつけているから楽だ。雪が深くなるにつれスキーの有り難味が伝わってくる。スキーは常時5~10cm位しか沈まない。林道に沿ってずーと滑ったが、神社や祠がやたらに多い。これだけ神様が多ければ御岳登山では遭難はまずないだろうな、などと考えながら歩いた。天候に恵まれた僕は幸運なのだから感謝すべきなのか。
夜行の疲れが出てきた頃、正小屋(?)らしき所まできた。その時はもう大分歩いたし、五合目辺りまで来たと思っていたから、てっきり千本松小屋ではないかと錯覚してしまっていた。時間もまだ3時過ぎだったので明日の頂上アタックをなるべく楽にしたいと思って中小屋目指してラッセルを続ける。上のほうにどっしりとした小屋が見えてきたので、それを中小屋と見当付けて林道を外して山道の直登路に入る。スキーの後すべりに苦労しながら駐車場のある小屋までなんとか辿り着いた。そして小屋の「八海山小屋」という看板をみて面食らってしまった。「あれーおかしいな」、八海山は王滝道途中のひとつのピークであって黒沢の方にはそのような山もないし、大体において地図上にもその様な小屋の記載はない。「これは王滝道の方に来てしまったかな」、と思った。しかし、屋敷野から地図上にある林道を忠実に辿ってきたのだからその様なことは決してない。
結局は黒沢道中にあるとの確信をもって今日はこの辺りで一夜を過ごすことにした。幸い八海山小屋の倉庫らしき所が開いていたのでそこで寝かせてもらうことにした。腹がすいているがあまり食欲がない。それでも我慢してラーメンとモチを煮て食べた。目覚ましを4時にセットして早々にシュラフの中にもぐりこんだ。母がくれた毛の毛布にくるまりカイロを足元に入れて寝たのでとても暖かかった。木曽駒や丹沢のときなどは寒さで何度か目を覚ましたけれど、今回は寒さで目を覚ますということはなかった。夕方4時ごろで零下10度程度であったから明け方は更に気温が下がったはずなのに。母親にすこぶる感謝した。

2月12日(快晴)
翌朝、目覚ましは順調に鳴ったが、それから寝床でモゾモゾしていて起きたのは5時だ。山に来ても起きるのに一苦労だから自分ながら呆れてしまう。食事は抜きにして早々に荷物をまとめて小屋を後にする。外は快晴だ。昨日は雪煙を上げていた頂上も今日は風も穏やかなようだ。1時間ほどで見晴小屋に着いた。さすがに「見晴」だけあってここからは北アルプスの眺めは絶大だ。特に穂高の南壁が胸に焼き付いて離れない。「いつかはいつかはあの頂へ」と思い詰め、しばしの間対面し感動のうちにしたっていた。このときほど充実した気持になることは他にない。表層的なエネルギーではなく奥深いところからの命のエネルギーの湧き出てくる熱さを感じる。
さてこの地に荷物をデポするか迷ったが、結局ここに荷をデポすることに決め、早々に朝食をとった。今回はじめてのインスタントライス。なかなか食べやすいものだ。重量も軽いしコンパクトでもあるから便利だ。これからはこの食料に世話になることだろう。必要なもの(食料2食分、非常食若干、セーター、靴下、アイゼン、懐中電灯など)をサブザックに入れて頂上目指して出発。後には今後の予定、連絡先を書いたメモをザックに残し荷物は荒れた小屋の片隅に置いておいた。
休養十分、荷も軽くなったしピッチは上がる。1m近い積雪だがスキーはほとんど沈まない。スキーでのラッセルは全く楽だ。所々にある赤布の標に導かれながらほぼ夏路通りにラッセルを続ける。天気も良いし暖かいから汗をかくほど熱い。中の湯で毛のズボン下を脱いだ。千本松小屋も通過し、中の湯小屋を確認した今では道に迷ったという不安は全くない。昨日までは遠い頂だった御岳の頂上が木間越しに近づいてくるのが何よりもうれしい。後すべりのする急坂は電光型に登り、少ない急登は開脚登行で乗り切る。行者小屋からは夏道を逸れたらしいが目標を南西に走る尾根のピークにおいて高度をかせいでいく。
2時ごろに森林限界に出る。森林限界を抜けたとたんスキーに雪が団子となってくっ付く。温度が急激に下がったので湿雪が凍って付着したのであろう。ここでスキーをあきらめてデポ。スキーを雪中に深く差し込んで、アイゼンをはく。ピッケルを途中に落としてきてしまったのでストックを一本持ってピッケル代わりにして出発。ピッケルはサブザックの紐に付けていたのであるが途中で紐が緩んで落ちてしまったらしい。昼食をとろうとしてザックを下ろしたときに気がついて唖然としてしまった。直ぐ戻って捜したが見付からなかった。あまり下りることもできないので帰りに拾っていくことにしてストックを代用にしたというわけだ。サブザックにはピッケルを刺す良い皮バンドがサイドに付いていたのに安易に紐に括りつけていたことが失敗。落ちても雪の中だから気がつかない。一旦は頂上アタックを諦めようかと思ったが頂上まではカチンカチンの難場もないようなので奮起して頂上を目指すことを決意。
初めのうちは膝まで踏み抜くところもあったが大体は雪が締まっていてアイゼンが良く効く。途中でアイゼンの紐が緩んだ。アイゼンを効かせて登っている時はさほど急坂とも感じないのであるが、いざアイゼンの紐を締めなおそうとすると滑りそうで恐怖感を感じた。ステップを切って足場を確かなものにして作業したが一歩間違えば滑落するという恐怖心が常にあった。これまでは雪坂での滑落にこれほど神経を使ったことはないが、今回ほどアイゼン、ピッケルの必要性を感じたことはなかった。少々きつめに締めてさあ出発。
もう既に帰路は日没になることを覚悟していた。天気も良いからラッセルの跡も消えない。暗くなっても明かりを頼りに忠実にラッセルの跡を辿っていけば必ず帰れるという確信があった。石室までの上りはすごい急坂だ。滑ったらどこに行き着くかわからない。おっかなびっくり、注意深く一歩一歩、しかしピッチを上げて登る。剣が峰が見えないのが不安だ。地図上からは4時ごろまでに着ける計算であるから確信を持って登る。明るいうちにスキーデポ地まで着けばよい。
石室の裏手に黒沢ルートの開拓者、覚明行者の銅像が立っている。この寒風吹きすさぶ中に何か悲しげな表情がとても印象的だった。ふとその銅像を見たとき「助けてくれー」と言い出すのではないかと思うほど悲しい顔を僕の方に向けた。一瞬ドキッとした。単独で登り二の池辺りで倒れていたそうであるがさぞ寂しかったことかと思う。いつか自分もと思うと何か身震いのしそうな悲しい複雑な気持ちになった。ここを通り抜け更に急坂を上り詰めると稜線に出た。このとき左手にやっと剣ヶ峰の頂を見ることができた。稜線上にはほとんど雪がなく夏道がむき出しになっている。風はさほど強くはないが時折突風が襲ってくる。日はもう西に傾いている。辺りの山々はその灰色を増しつつあった。さあ急がなければ。最後の登りを詰めた。
さあ剣ヶ峰頂上だ。標高3063m、360度の展望、北アルプスの峰々が低いくらいだ。火口は雪で埋まっていて広い雪原になっている。もっと早い時間に立てば更にすばらしい展望がであったと思う。ものすごい突風がビュンビュン吹き付けてくる。御岳が「ばか者、こんな遅く来て、早く帰れ帰れ」と僕を追い返しているようだ。
そうだ長居はできない。写真を数枚とってテルモスの紅茶を飲み干してさあ下山だ。来るときにピッチを上げたせいか疲れて少々腰がふらふらする。注意深く下りる。雪の着いた坂をシリセードで下ろうと思って、まずは小手調べと比較的緩いところ(その時はそう思った)を選んで滑り出した。ストックを立ててブレーキをかけながら少し下ったところで体が右に傾いて加速度がついて滑り出した。思わず「あっ」と叫んで夢中で体を建て直し、ストックのブレーキをきかし、足のアイゼンで雪面をかじって漸く止まった。10数m位滑った。「ばか者」と自分を叱責した。あやうく数百メートル落ちるところであった。岩が出ていないから死ぬようなことはないが100km近いスピードで滑り落ちるのであるからその間に何が起きるか解からない。足でも骨折して身動きができなくなればハイそれまでである。人間の命なんか山では紙一重だ。雪山での滑落の恐ろしさを今回ほど痛切に思ったことはなかった。
このアクシデントでもう坂を下降するのが怖くなってアンザイレンできる仲間がいたらともう泣き出したいくらいだ。泣いたってしょうがない。四方八方僕一人だ。生きたいのなら一人で下るしかない。「シリセードで一挙に数100mを下降=時間短縮」などという夢はもうどこかに吹き飛んでしまった。こうなったら登り以上に時間と神経を使うことを覚悟しなければならない。アイゼンを効かせながら電光型におっかなびっくりに下りる。おかげで金剛堂に続く尾根にたどり着いたころはもう暗くなりかけていた。急いで尾根を森林地帯めがけて駆け下る。しかし、森林帯に近づいてもスキーが見付からない。「まずいなー」、この暗がりの中捜し回らなければならない、と少々焦りだす。薄明かりを手がかりにしてなんとか地形判断をしてみると、どうも尾根を右に寄り過ぎてしまったらしい。案の定、左に登ると直ぐにスキーを見つけることができた。足跡、シュプールも明確に残っている。
さあこれで帰りの軌道に乗れたと一安心。懐中電灯を取り出し首に掛ける。電池はあらかじめ取り替えておく。明るさは十分だ。スキーのスプールの両側にストックの後が生々しい。少々悪寒がするがもう安心だ。しかし、新たに心配の種がでてきた。つるしてある電灯がかなり揺れる。電球が切れないかと心配になってきた。この心配は急坂でステン・ステン転ぶにつけ増して来た。予備の電球を持っていないから切れたらもうビバークしかない。空には月は出ていないので月明かりを期待することもできない。それでも星が隙間なしと一杯に輝いている。なるべく転ばないようにとすればと思うのだが実際はスキーが下手なので仕方がない。10m下るのに1回位は転ぶ。もう腹は立つし転ぶたびに「ちきしょう、ちきしょう」というけれどもまたその後から転んでいる。次には泣きたい気持ち。最後にはもうやけのやんぱち、転ぶなら転べとざーと滑って転んで止まる。それでも少し上達しプルークでブレーキを掛けることができるようになった。
こんなことだから見晴小屋に着いたのは夜の9時を過ぎていた。かなり疲れていて体力的にも限界だ。それに片方のスキーのシールが外れてしまった。悪いと思ったが見晴小屋の倉庫らしきところの窓の打ち付け板をはがして入って寝かしてもらった。もちろん翌朝出発する前に元通り窓に板を打ちつけておいた。ちゃんとした幕営具を用意しなかったのが悪いのだと思うが、山小屋が10数軒もありながら利用できるのはほんの1、2件だけだ。一部だけでも開放しておいてくれたら大変有難いと思うが、小屋の持ち主とすればシーズン中の稼ぎ時のために荒らされたくないという気持ちがあるのであろう。あるいは、避難されるべきなのは登山者のマナーなのかもしれない。疲れていたせいかあまり食欲がない。軽い食事をして寝たのは11時ごろ。

2月13日(曇り時々雪)
翌朝は9時頃起床。食事を取り出発したのは、10時30分。御岳は7合目付近から雲に隠れている。風もかなり強い。山頂付近は吹雪であろう。昨日のうちに登ってしまって良かったと思った。シールを付けたまま下ったがスキーに雪がボテボテに付くのでシールを外して思い切って滑降することにした。しかし、これが誤りで、スキーが下手なのに加えて、重い荷物を背負っているからバランスを崩せば直ぐに転んでしまう。おまけに転んだら荷物が重いから立ち上がるのに非常に苦労する。仕方がないから再度シールを付け直そうとするけれど湿雪でシールが濡れてしまっているので両面接着テープが効かない。シールとスキーの間に入り込む雪を払いながらなんとか屋敷野部落まで辿りついた。ここからはスキーを担いで黒沢のバス停までアスファルトの道を下るだけだ。疲れているせいか、行きよりも荷物が重く感じた。バス停までは重い足を引きずりながら歩いた。時間さえあれば途中旅館にでも泊まって疲れを取ることもできたのだが。

生まれて初めて3000mを越える山に立った。それも厳冬期にだ。これを単独でやったのだから、いくら天候に恵まれていたとはいえ非難を免れないとは思う。しかし、私自身としては今回の場合、決して無計画で命知らずの登山であったとは思っていない。確かに危なっかしいところもあったが、準備としては少々のアクシデントには耐えられるものを用意した。これはやはり木曽駒での苦い経験が教訓になっていたからだ。しかし、ピッケルを落とすという不注意や電球の予備を持っていかなかった点などのかなり大きな失敗も決して見逃すことはできない。ともかくもアクシデントと対処できるゆとりのある冬山登山ということに自信が持てたことは一歩前進だったと思う。

御岳は雄大なすばらしい山だ。山頂付近までかなり人の手が染み透っているが、冬は人を寄せ付けない厳しさを十分持っている。次回は濁川温泉のほうから登ってみたいと思っている。勿論冬にだ。


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